源氏物語始まりの地、石山寺
大河ドラマ『光る君へ』を見ている。歴史がすきなわりに通年通してドラマを見るということができなかったため、初めてリアルタイムで完走したのは家にいることが多かったコロナ禍中に放送されていた『麒麟がくる』だった。南北朝〜鎌倉時代が一番すきな時代であり、かつ三谷幸喜作品がすきな私は『鎌倉殿の13人』でどっぷり大河ドラマにハマり、そして今年は平安時代にのめり込んでいる。
『光る君へ』で主人公まひろ(紫式部)が友達のさわと共に詣でたのが石山寺である。平安時代以前から霊感あらたかで有名な寺であるが、紫式部×石山寺といえば湖面に映る月を見て源氏物語を描き始めたと言われる場所。
関西に行く機会があれば行きたいと思っていた矢先、大阪でライブがあったため、帰りに寄ってこようと思ったわけである。石山寺は滋賀にあるためついでという距離でもないが、私的には「帰り道」。
ライブ翌日。ホテルで目を覚まして、午前中は仕事。まぁまたよくわからないスケジュールを組んでおり、午前はホテルで仕事をし午後に石山寺に行く、そのまま名古屋経由で帰宅予定。ライブに一緒に行った友人も大河の視聴者であり、彼女も石山寺に行こうと思っていたようなので二人で行くことに。今回は私よりも関空から東京に飛ぶ彼女の方がはちゃめちゃスケジュールだったかもしれない。
大阪から石山寺まではJRに乗って行く。運良く二人で並んで座れたので、快適な道中。石山寺駅に着いたらそこからはバスと徒歩。アクセスはそんなに悪くない。大河の期間だからか、「石山寺はこちら」看板がたくさんあり全く迷うこともない。寺の前を流れる琵琶湖に流れ込む川の勢いが速すぎて笑っていた。


石山寺、山門。
到着して迎えてくれるのはこの立派な門。そして中に見える新緑がきれい。紅葉の季節よりも緑輝く初夏がすき。生命の息吹を感じるため。

奥にある牛車のリアリティ。
「誰がそこにいるんだろうか……」と遠目で牛車見る町人の気持ち。


本殿に向かう急勾配の階段を登った先に現れた荒々しい岩。
名前に違わぬ「石山」寺。(石というか岩!) これは硅灰石(けいかいせき)という天然記念物。通常は大理石になる石なので、このまま残っているのは珍しいとのこと。


本殿。
いましたよ、紫式部が。ここで源氏物語を描いていたと言われている。「湖面に映る月を見て」というエピソードがあるけど、ここからは湖面が見えない。
奥が琵琶湖、そこに注ぎ込む川。
本殿からさらに上に登るとかろうじて琵琶湖が見える場所がある。微妙に脚色されてるのか……? ここで月を見てから源氏の間に移動して描き始めたってのが現実的な想像。当時はビルや橋もないだろうし木々の生え方も今とは違う。どんな景色が見えたのかな。
敷地内は結構広く、軽いハイキング。上記の写真からさらに上にある豊浄殿では企画展をやっていた。

これが結構見応えがあり、おもしろかった。大河ドラマを見てると「あ、あの人!」とイメージが湧くので、歴史物語が作品化されるというのは過去と現在を結んでくれるという尊さがある。視聴者同士だと解像度が同じくらいなので盛り上がった。
江戸時代に作られた源氏物語の創作がたくさんあるなぁと思ったけど、後から調べたらその頃から印刷文化が発達したり識字率が上がったようだから納得した。貴族以外が気軽に源氏物語に触れられるようになったのが江戸時代頃だからだろう。興味深かったのが、紫式部が月を眺めて物を書いている絵がいくつもあったこと。どの時代のオタクもそういうエモエピソードがすきなんだね……。そのシーンが『光る君へ』でどう描かれるか、令和のオタクはワクワク。

見つけにくい場所にある紫式部像。
企画展をゆっくり見ていたこともあり、友人は急いでバス停に向かうことになる。バス停まで見送りに行き別れを告げた後、大河ドラマ館へ。
五節舞でまひろが着ていた召物。
おいしい、石餅。
最後はお寺の前のお店でゆっくり石餅を食べる! 私にしてはかなり余裕のあるスケジュールであり、余裕オブ余裕の中米原へ向かうのであった。
ちなみになぜこんなに余裕があるかというと、最初はむりくり彦根城にも行く予定だったから。しかし石山寺が思いの外広く見どころも多かったため、そちらは諦めた。また今度、ひこにゃん。
バスで弾丸!いざいざ会津若松!
「雪が積もったお城を見たい」とは常々思っていたことで、それが叶いそうな場所もなんとなく知っていた。
2月に入り雪の積もった鶴ヶ城の写真を見たときに、「今だ!」と行くことを決めた。しかしこれはタイミングが重要じゃないか? 冬とはいえ暖冬の影響もあるのかしっかり晴れて雪がまったく積もってない日もあるようで、それはそれで美しくはあるんだけどせっかく行くなら雪が積もっていてほしい。雪が降りそうなタイミングを狙おうと前々日まで天気予報とにらめっこをし、夜に雪が降りそうな日の翌日発着のバスを予約した。あとは運! 頼む! 積もって!
宿泊の予定はなく1秒でも長く現地に滞在しため、7:30新宿発、12:17会津若松着のバスにした。早起きできるのかだけが心配、非常に心配。幾度となく寝坊を繰り返して泣いてきた私である。帰りのバスは17:00会津若松発、21:47新宿着。約5時間弱でどこに何時にいくかのシミュレーションはつけたので、もういける。あとは現地でたのしむだけよ。電車やバスの時間が限られている地方に行くほど緻密に計画を立てて行く派。一本逃したらおしまいみたいな感じになる場合がある。
さて当日。起きれました。電車に一本乗り遅れました。でもバスには間に合いました。JR新宿駅新南改札からバスタ新宿は3分あれば着く実績ができました。無事バスに乗れた安堵感から乗車直後に寝落ちており、気がついたら結構時間が経っていた。しかしそこで異変に気がつく。このバス、だいぶ手前(東京側)にいませんか? 実は私が爆睡をかましている間に大規模玉突き事故の影響による大渋滞に巻き込まれていた。さてまぁ困ったことに90分ほど遅れて到着する予定らしい。冒頭でも述べた通り滞在時間が元々短いため、冷や汗をかく。無事に行きたい場所を回り切れるだろうか。
焦ってもしょうがないのでMIU404を延々と見ていると、景色がだんだん変わって行く。バスはこういう景色をゆっくり見れるからすき。

たぶん猪苗代湖の近く。奥の山々が強そう。
到着したのは13:30頃。若干巻いてる、ナイス。

写真だと晴れてるように見えるけど、粉雪が舞ってた。温暖な土地育ちなので雪にいちいちはしゃいでしまうけど、ここからはもうキッチキチのスケジュールなので走る。どっかで想定外の出来事ができればおしまいになります。
なりふり構っていられないので、最初からタクシーに乗る。昼食では絶対にソースカツ丼が食べたい! 目的のお店に着くと、運転手さんが「終わってますねぇ」と言うので「嘘だろ〜!?」と思ったら、店の前の看板に「本日終了」の文字が……。しかしここでおしまいになるわけにはいかないので、そこの近辺に別の店があることも事前に調べていた。行くぞ! お腹すいた!
次に向かったのはめでたいや。めでたいね。開いてるので安心したのも束の間、中に入ると10組くらい待ってた。三連休の中日ですからね、そうか……。他の店に行ってもよかったけど、なんせもう空腹なので待つことにした。席はたくさんあるから回転は速そう。待つこと何分か、呼ばれて席についた瞬間にタッチパネルで注文をし待つ。なんかかなり大きい丼を運んでる店員さんがいるんだけど、あれは一体?(おそらくソースカツ丼の並だった。隣のおじさんがサイズ感におったまげて見て早々「持って帰れるかな……」と弱音を吐いていた)

中華そばミニソースカツ丼セット(1,300円)
来た! この際ラーメンもソースカツ丼も食べちゃおうってことだったんだけど、これやっぱりミニソースカツ丼のサイズ感じゃなくない? 食べれんのか? 次のバスの時間が迫っていたこととお腹がすいていることにより、普段ではあり得ないスピードで食べ進める。ソースカツ丼は薄めの肉で衣がパリッとしてて食べやすくおいしかったし、ラーメンは「そうそうこういうラーメンが食べたかったのよ」というシンプルなおいしさで満足。そろそろタイムアップという時間になり、カツ一切れを包んでもらい持ち帰りにした。これは翌朝食パンに挟まれてソースカツパンに変身を遂げることになる。
よし、やっと向かうぞ鶴ヶ城。めでたいやからは歩き。知らん土地のなんでもない道を歩くのはたのしい。

路肩に若干残る雪。お城の方は果たして。
若干入口に迷いながら到着。
お堀らへんから見えた鶴ヶ城。そろそろ一眼の出番。
雪は積もって……ない!!!!! ないけど!!!!! カッコいい……。薄々察してたので積もってないのは覚悟してたけど、そもそものお城がカッコいいので問題なかった。



石垣の上にそびえ立ってるのがカッコいい。下の方には雪が残ってる。
戊辰戦争で新島八重が戦った場所だと知って驚いた。会津若松が出生地だったのね。

外飼いされてた赤べこ。首が動く。
お城の周りを一周して見た後ほんとは中にも入りたかったんだけど、時間の都合上泣く泣く次の場所へ……。雪の鶴ヶ城とお城の中の散策は次の機会に持ち越し。
あかべぇバスに乗って、飯盛山下で下車。向かうはさざえ堂。地図上ではまったく気がつかなかったんだけど、実はこのさざえ堂かなりの高所にある。
スロープコンベアという「動く坂道」があり、この横には傾斜の厳しい階段が。この日は営業時間が終了しており、階段を登るしかなかった。悲報。しかし行くしかない。休憩を挟みながらゼーハーゼーハー息を切らしなんとか上まで登りきる。体力がなすぎる。

さざえ堂。第一印象「呪術廻戦に出てきそう」
会津若松について調べてるときに、ビビッときた建造物。
かつてはその独特な2重螺旋のスロープに沿って西国三十三観音像が安置され、参拝者はこのお堂をお参りすることで三十三観音参りができるといわれていました。 また、上りと下りが全く別の通路になっている一方通行の構造により、たくさんの参拝者がすれ違うこと無く安全にお参りできるという世界にも珍しい建築様式を採用したことで、建築史上その特異な存在が認められ、平成8年に国重要文化財に指定されました。
拝観時間を過ぎていたので外観だけでも見れたらいいなと思っていたところ、なんか普通に入れてもらえたのでラッキーだった。


中の様子。
先述の通り行きと帰りが違う道になっていて不思議。通っているときにはなにもわからない。見られているというか見守られているというか、独特の雰囲気がある。ちなみに霊感はまったくない。

上の方から見えた景色。
一通り見終えて降りようかと思った瞬間に見えた空と街が印象に残っていて、観光名所だけじゃなくてこういうふとした景色が思い出だったりする。

戊辰戦争の本営だった場所、旧滝沢本陣。
もう一箇所行きたい場所があり向かったところ、閉まっていた。時間の問題かと思ったら、12〜3月は予約が必要らしい。戊辰戦争当時の弾痕や刀傷あるとのことで見てみたかった。ここもまた次の機会に。
早いものでバスの時間が迫ってきたので、会津若松駅まで歩く。30分くらいかな。途中で地元のお菓子屋さんがあったので立ち寄って、チョコのもちもちした甘味を買った。お分かりの通り、全体的にバタバタ急いでいて写真が少ない。
最後バス停の場所で迷ってしまいあわや間に合わない惨事になるところだったけど、ギリギリで乗り込むことができてよかった。ちなみにバスに乗り遅れたパターンも一応考えてはあった。いらんリスクヘッジだけうまくなる。ギリ生き人生は続く。